我等が畏敬する藤田三郎翁は 明治三十五年 山紫水明の地香美郡香我美町山北に生を享く 良き風土良き父母に育まれ性温健にして沈着剛胆 若くして香美郡農会に奉職するも向学の念やまず明治大学に学び卒えて農林省に入り 更に中国大陸に雄飛して終戦を迎ふ 夙に徳望あり 昭和二十三年推されて高知県販売農業協同組合連合会会長となり 県経済農業協同組合連合会会長を経て 同三十六年県農業協同組合中央会会長・各連合会会長に就任 縦横に才幹を振い 高知に藤田有りの名声天下に及ぶ また同五十年衆望を担い全国農業協同組合中央会会長の要職に就き常に農業協同組合の原点を提唱し その間各界要人と交遊 高邁なる識見と卓越した指導力を発揮して献身的に活躍 農業の国際化等農政の転換期に良く難局に対処し「田ある者は田を耕せ 田なき者は心を耕せ」の信念を持ち 我国農政史上不滅の足跡を印し 藍綬褒章 厚生大臣表彰 勲三等瑞宝章 勲二等旭日重光章の栄誉に輝く ここに翁の高徳偉業を頌え 県下農協関係者の総意を以て頌徳像を建立し 敬意を表し永くその高風を仰ぐものである
 
 

昭和六十三年四月吉日

撰文 高知県農業協同組合中央会
             会長 川野忠顕
書  現日会同人代表 南 不乗